BETTEI SENKYU -別邸仙久-



[ Story ]


子供の頃の淡路島の記憶。
それは大人になった今でも、ふと思い出す幸せな時間でした。
大阪から毎年数回、祖父母の住むこの家に来て、汗だくになりながら必死に手伝った玉ねぎ収穫、田んぼのあぜ道の追いかけっこや生き物探し、縁側でした夏休みの宿題とお昼寝、セミの声を聞きながら歩いて行く海、父に無理やり連れて行かれた肝試し…。

春は一面のたまねぎ畑と大きな鯉のぼり。夏は地平線の向こうに見える入道雲と、天の川の星空。秋は夕陽で赤く染まった稲穂が、風になびく音と心地よい風。冬は浜風に乗ってトンビと一緒に高くまで上がった凧。
こうやって思い出しながら書いていると、懐かしさと恋しさで胸が締め付けられます。

そんな私も高校生の頃になると、反抗期もあり友達と遊ぶ方が楽しく、淡路島にはいつしか両親や弟だけが帰るようになっていました。それから十数年が経ち、祖父母が亡くなり、私は結婚をし育児と仕事に追われていました。

住人が居なくなった祖父母の大きな木造の家は、管理が難しく、家と田畑を『貸しに出そうか。自分の代で潰すしかないのか。』と本家として先代達が守ってきた大切な場所であり、自身の生家である家の決断に、父は悩んでいました。

無知な私は、祖父母の家も畑も好きだった風景も、あの時のまま、この先もずっとここにあると当たり前に考えていたもので、無くなったら必ず後悔するだろう。 息子達が大人になり、忙しい日々を過ごす中でも、自然豊かな子供時代をふと思い出せる居場所を残したいと、真剣に考えるようになりました。

様々な事を調べ分かったことは、大きな木造家屋を残すには費用面でも大変厳しいこと、人が住みメンテナンスをしなければすぐに朽ちてしまう現実でした。 人がこの家で過ごし、この家で費用を生み出す必要があるのだと分かり、そのままの形で残す為には、お宿として運営することが良いのではと考えるようになりました。

子供も小さく「私に出来るか…」と本当に悩みましたが、この場所でなら、本職であるデザイナーとしての経験と子供を育てる母親の経験を活かし
大人の方にはゆっくりと流れる豊かな時間と空間を、子供は自然の美しさを、子供だけが持つ感性で、感じ取ってもらえる場所にできるのではと、まずは10年間の期間限定のお宿として再生する事を決意しました。

小さな息子2人を連れて淡路島に移住をし、母として、運営者として、家督として、分らない事だらけの中、家族や親戚、ご近所の方など様々な方に助けていただきながら、2021年別邸仙久をOPENする事ができました。

私がそうだったように、大人も子供も、ふと思い出しては幸せな気持ちになる思い出が作られるよう、真心込めてしっかりと準備をし、皆様のお越しをお待ちしております。 10年間では御座いますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

                               


[ 別邸仙久に込めた想い。]



別邸仙久 Betteisenkyu

[仙] 世俗にとらわれず、[久] 時を長く経るさま

今までのように今後も長く、この家屋や田畑がここにあってほしいとの想いでこの名をつけました。

宿のある淡路島は、縄文、弥生時代の遺跡が数多く存在するなど、御食国(みけつくに)の一つとして、 山海の幸を大和朝廷に献上した食材の宝庫であったと言われています。
ここ鳥飼の地名の起源については、古代の「鳥養部」(とりかいべ)からきており、 朝廷へ献上する種々の鳥を飼育していたと言われ、御食国と言われるゆえんの一つでございます。

目の前に広がる田畑では土地の気候や風土にあった作物を育て、自然と生活が互いの一部として存在し、 自然に人の営みが加わることで、そのまま美しい景観が今も残る素敵な場所です。

暮らし方や働き方が様変わりしたことや、過疎高齢化が進んだこともあり、景観が変わりつつある淡路島ですが、この地に住まわれる方々が愛するゆっくりと流れる空気や豊かな時間を、心ゆくまで感じていただける場所になればと願っております。

                               

別邸仙久 久繼仁美